2008年08月15日

『志の輔らくご ひとり大劇場』 国立劇場

昨年に続き、今年も国立大劇場での志の輔らくご。今回も背景は半円の白い壁だったが、昨年のようにその壁をスクリーンとして使い倒すのではなく、歌舞伎の舞台としての国立劇場を上手く使った演出だった。
演目は、北京五輪風の落語実況を枕に、落語家立川志の輔の自己紹介のような「生まれ変わり」。あっち行ってこっち行ってを上手く落とし込んであるなあ。
回り舞台が回って、出囃子の方々が登場。演奏の後、もう一度回って高座には板付きで志の輔さん。泣く・怒るのポイントは誰しも似通っているけれど、笑いのポイントだけは人によって全然違う、何がウケるのかわからないのが難しい、というところから「三方一両損」。…確かに、どうして大岡様がわざわざ一両損をしようと出しゃばって来るのか、不思議な話ではあるね(笑)。笑いを解説することほど、いたたまれないものはない、という落語家の自虐のようなサゲ。
中入り後は、「中村仲蔵」。落語家の身分は前座、二つ目、真打の三段階だけ。噺を覚えたらすぐにお客さんの前で修行する、ありがたくも怖い世界。歌舞伎の身分は、現在こそ名題下と名題だけだが、その昔はもっと多くの階層に分かれていて、門閥の外の役者が名題となるようなことはほとんどあり得なかった…というところから始めて、金井三笑との仲違い説は取らずに、素直に立志伝中の成功譚として物語る。考証はともかく、人情噺としてはこの方がきれいにまとまる気がする。
雨宿りの浪人から、斧定九郎のこしらえのヒントを得るところ。舞台を失敗したと思い上方へ去る道すがら、夢中で今日の定九郎を語る芝居帰りのお客達に行き逢うところ。ぐぐっと引き込まれて、ああ良かったなあ!と思える。
仲蔵が定九郎を演じる場面では、舞台上手にはツケ打ちさんが現れ、花道に照明が当たり、揚げ幕の鈴の音がチャリンと鳴る。思わず花道の方を見るが、そこに役者が登場する訳ではない。でも、定九郎が本当に見えるようでした。志の輔さんの語りに、歌舞伎の舞台としての小屋の場の力も相まっての効果。この演出は素晴らしかった。背景のスクリーンはエンディングでのみ利用して、定九郎のこしらえと見得を映像で見せて幕となる。この使い方も、昨年からのマンネリとならずに上手かったです。
posted by kul at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇/舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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