歌舞伎座は2月の「忠臣蔵」に続いて、今月は「義経千本桜」の通し。夜の部は、「木の実・小金吾討死」「すし屋」「川連法眼館(四の切)・奥庭」の3幕。
仁左衛門の権太は可愛いなあ。なんとも小面憎くい小悪党でありながら愛嬌もあって、小せんとラブラブで、倅善太を可愛がっていて。「木の実」で家族仲の良さが伝わり微笑ましいので、余計に「すし屋」で妻子を身代わりに立てる辛さが引き立つ。このエピソードを観る度に、善太の笛の使い方はよく考えてあるなあと思う。ついつい泣きますがな。「すし屋」での母お米に金をせびりに行く権太も、仁左衛門がやると、調子の良い悪タレが甘えてみせるのに思わずほだされる母の気持ちがわかる(苦笑)。仁左衛門の権太はひねくれ者のお子様だから、お袋様へ甘えてみせるのもフリじゃないのだ。いがみ者がせっかく最愛の妻子を犠牲に主君の敵を欺いたと思ったら、父に誤解されて刺され、真相が明らかになってみれば実はすべて筋書の上、掌の中であった、という三重の悲劇。いや、筋書にせよ忠は尽くせたんだから最後は省いて二重の悲劇なのか。
弥左衛門は左団次で、ようやく左団次さんの爺役を見慣れてきた。時蔵さんは、自分はできれば女形で見たいのだけれど、弥助実は惟盛がおっとり浮世離れした感じで良かった。
「四の切」は菊五郎の忠信で、安心して気持ちよく見ていられるが、平日夜ということもあってか、狐はちょっと省エネモードのようでした(苦笑)。あんまり回ると、これから楽日までまだ長いからねー。梅玉の義経はすっきりきっちりした感じで良かったが、福助の静はどうだろう。福助さんの赤姫はバタバタして見えてちょっと苦手。
以前から不思議に思っているのは、狐忠信に静が切りかかるときに、狐忠信は初音の鼓を間に置いて盾(?)にすることがありますよね。後白河法皇から拝領した鼓だから傷つけられないというのはわかるが、もしや何かの拍子にということを狐忠信は心配しないのかしらと。むしろ自分の後ろにかばう方が自然な気がするのですが。それともこれは即物的な現代人の見方で、初音の鼓自体に神性(千年の劫を経た雄狐・雌狐の皮で作った鼓。法皇から拝領の品、というのもある?)があって、刀を寄せ付けない力があるということなのだろうか。ご存知の方に解説をいただければ幸いです。
メモメモ:歌舞伎素人講釈より
なぜ「鮨屋」に義経は登場しないのか
放蕩息子の死
「モドリ」の構造
民俗芸能としての「鮨屋」
「鮨屋」における他者
義経と初音の鼓
花のない「千本桜」
義経の神性とは何か
その問いは封じられた
2007年03月09日
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