2007年05月29日

福田平八郎展 京都国立近代美術館

昼を食べて京都国立近代美術館へ。
福田平八郎というと、これまで可愛らしい小鳥の絵をよく見ていたが、今回は魚、特に鯉と鮎が多かった。釣りが趣味だったのだね。鯉の絵は、制作時期に関わらず、同じ構図のものが多かったが、鮎の絵は実に様々。釣りを始めたばかりの頃の絵は、清流に群れ泳ぐ様子が生き生きとしているものの、妙に細長くて別の魚のようだが、実物を見なれてくると形を単純化しても鮎に見える。
あいにく、代表作のひとつである「漣」の展示は前期で終わっていて、複製のパネルのみだった。しかし、その前に描かれたさざ波のスケッチがどれも素晴らしい。鮎や風景、落ち葉、瓦屋根、色々な習作スケッチも展示されていて、他のページも見たくてたまらなくなった。いくつかの作品には作者のコメントが添えられていて、読みながらのんびりと見て回った。
水の中の丸い石、うっすらと庭に積もった雪、竹の表面の模様、瓦屋根に雨がポツリと落ちたところ、など、何でこんなものを?と思うようなテーマが、とても気持ちの良い絵になるのが不思議。意味や思想ではなくて、ただ、自然にあるものがきれいだと思って、きれいだと思った感覚をそのまま形に残そうとする。シンプルにシンプルに、ただ、そのモノの印象だけを取り出す。素直な絵だ。
画風は年とともにどんどん変わっているのだが、どの時代の作品も好き。初期のものの中では、「春の風」は珍しい人物画。桜の花びらの中に座る女の子は指先が赤くなっていて、まだ寒いんだろうなと思う。肌の部分に青みが入って、色白さを強調する。「游鯉」の水の底の鯉を表現するぼんやりしたにじみ。山種美術館で見た「牡丹」の屏風もあった。一見、咲き誇る牡丹のようだが、盛りを過ぎて萎れ、散りかかる花まで克明に描かれているので、恐ろしいような感じがする。
次第に日本画らしい日本画から離れていって、マチエールにこだわり始める。「新雪」の陽が射せばすぐにも融けてしまいそうな雪の表。飛び石の盛り上がり。「清流」では、水底の石だけでさらさらした水の流れが感じられる。つやつやした赤い盆に乗せられた「桃」のやわらかさと透明感。「春雨」の光る水たまりに生まれた波紋。
晩年はマチスやゴーギャンのようなシンプルな形と原色が目立つようになる。鳥の絵も増える。竹に雀、シダに雉、カラーに鸚鵡。

松本大洋に似ている、というより、松本大洋が福田平八郎に似ているという方が正しいが、いつも、色の使い方やどこをデフォルメするか、取り出すかという感性(?)が近いと思う。どうでしょう?
posted by kul at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術展/イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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