2008年04月25日

「没後120年記念 絵画の冒険者 暁斎 Kyosai−近代へ架ける橋−」京都国立博物館(総括)

猫に謝りつつ、雨天観戦グッズを荷造りして京都へ。昼過ぎに着いて、バスで京博へ移動。並ぶかと思っていたら、あっさり入れて拍子抜け(苦笑)。館内もそれほど混むことなく、じっくり見るには調度良かった。

河鍋暁斎(1821-1889)を最初に知ったのは、『芸術新潮 河鍋暁斎の逆襲』(1998年6月号)。作品にも「すげえ!カッコイイ!」と興奮したのだが、何より夢中になったのは、鬼気迫る下絵の描き込みだった。蕨市にある河鍋暁斎記念美術館(曾孫にあたる方が運営)に膨大な下絵が保管されているそうだが、まだ行ったことがない(京都より近いのに…)。

暁斎は幼少期に一時、歌川国芳に師事した後は、狩野洞白の元に入門。しかし狩野派に飽き足らず、円山四条派、琳派、土佐派など様々な流派を学び取り入れていく。変幻自在の画力は、江戸〜明治に変わっていくこの時期に来日したジョサイア・コンドル(鹿鳴館の設計者)、エミール・ギメ、ウィリアム・アンダーソン(英海軍医師)、フェノロサ等々外国人に高く評価され、多くの作品が海外へ運ばれている。
「画鬼」と号したことから、1993年に大英博物館で開催された特別展のタイトルは「Demon of Painting」と付けられた。
流派の枠を超えたり、風刺画を描いたり(39歳のときに政治批判をしたとして逮捕、投獄されている。出所後、「狂斎」から「暁斎」に改名)しているため、画壇からはやや外れた存在であり、現在、国内での評価や知名度が低い原因となっている。

その他、詳しくはこちらを参照:
京都国立博物館 暁斎展案内
河鍋暁斎記念美術館
河鍋暁斎(Winkpedia)
河鍋暁斎研究コミュニティ

昨年、狩野永徳展に行ったときにチラシで開催を知り、楽しみにしてました。でも、お江戸の絵師なのに、開催地は京都だけ。何か悔しい。

個々の作品については、また後で書こうと思います。全体的な感想としては、何かもう、すごかった。すごいというのが、圧倒されるというよりも、あまりに何でも描けてしまうことに呆れる感じですごい。展示室ごとにジャンル分けがされているのだが、ジャンルが多岐に渡り過ぎて、しかもどれも上手くて、どこに焦点を絞っていいかわからなくなる。4時間半くらいかけて見たのだけれど、頭の中をもみくちゃにされたような気分になった。
多分、この「あまりに何でも描けてしまうこと」が、逆に国内で評価されなかった原因なのだと思う。奇想派ということで暁斎に先立つ若冲、蕭白などからは、「これを描いてしまわないと自分が壊れてしまう」ような妄執を感じるのだが、暁斎は何でも描けてしまうために本当に描きたかったことが伝わりにくいのではないか。
もうひとつには、暁斎に限らずこの時期の絵には、「明治期の“日本画”」という問題がある。西洋的な手法や画題がどんどん入ってきたこの時期の絵は“日本画”か“西洋画”か、何を評価の基準にするべきか、ということ。ついでに言うと、頑張って西洋の画法を自分のものにしようとしているところなので、妙ちきりんな作品もあったりする。その悪戦苦闘の様子が美術史的に面白いのだが、絵として良いのかどうかというのはまた別の話で、美的な評価は難しくなる。もっとも、そういう意味では暁斎はものすごく上手く、西洋の画法も自分のものにしてしまっているけれども。

暁斎が「死ぬほど描きたかったもの」が何なのかは掴み切れなかった。画題ではなくて、描くこと自体が目的なのかも。呼吸をするように絵を描く。何でもいいから描いてないと苦しくなる。そういうことなのかも。自分が下絵と雑記帖に夢中になるのは、そのせいかもしれない。箱根の滝のスケッチなんか、背筋が震えるほど良かった。
「何でも描けてしまう」という点で、自分にとっては暁斎と北斎って、同じカテゴリなのだ。北斎も自分にとっては掴みどころのない人。ただ、時代が早い分、(美的に)わかりやすい。北斎も、波だけ描いてある北斎漫画が大好きなのだ。
posted by kul at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術展/イベント
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