2005年09月10日

『吉原御免状』新感線☆プロデュース 青山劇場

最初に『吉原』を演る、と聞いたときに、新感線と隆慶一郎の取り合わせは期待できそうだと思った。これまでの中島作品にも書かれた歴史の周辺部の人達が出てきているし、隆作品自体が伝奇っぽいからね。原作も好きだし、新感線も好き。新感線のウリである歌とダンス、ギャグ要素を封印しながら、テンポよくまとめられていたと思う。
主要キャラ役の面々は、結構予想通りな芝居だったんですが、水野十郎左衛門=梶原善と柳生宗冬=橋本じゅんが老けた演技で予想以上に良かった。失礼ながら、善ちゃん上手くなったなあ…と嬉しかったです。じゅんさんも、終始抑えた役というのは初めてだったのではなかろうか。というか、新感線の役者さん全員がそうなのかも。はじけた芝居だけではない、劇団の緩やかな変化のきっかけとして、良い公演だったのではないかと。

普段は「これは新感線の芝居でそういうものだ」と思っているから気にならないのだけれど、今回、自分にとっては原作ありきで「時代物」として見てしまうので、女性陣の着物の裾さばきや、柝の音が入ったり見得を切ったりするタイミングが違うことに、つい引っかかりを覚えてしまった。花組でも新人さんは裾さばきがバタバタしているものなあ、テンポの速い芝居だと難しいかもしれないが、自分で注意して所作を身に付けていくしかないよな。
posted by kul at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇/舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月08日

『ドレッサー』PARCO劇場

夜はPARCO劇場へ。PARCO+スズカツの新スタンダードシリーズ第2弾。
第二次大戦最中のイギリスを舞台とするバックステージもの。日本での過去の公演も映画も見たことがなく、ストーリーは知らないままで観劇。三谷幸喜『ショウ・マスト・ゴー・オン』のバックボーンか?ということを聞いていたので、かなりヘビーなテーマで吃驚した。

巡業公演でリア王を演じるワンマン老座長に平幹二郎。サーの称号を持つ程の名優だが、徴兵による役者不足・劇団経営・劇評etc.の心労で鬱傾向にある。座長のその付き人(ドレッサー)ノーマンに西村雅彦。虚脱状態の座長を舞台に立たせるため、甲斐甲斐しく世話を焼く。座長夫人に松田美由紀。内縁の妻でありコーディリアを務める彼女は、座長に対し、女として、同じ役者として複雑な思いを抱く。座長の傍で誰より長い期間、舞台監督を務めるマッジに久世星佳。常に冷静、スーツ姿で靴音を響かせ、上演を取り仕切る。
劇中劇で演じられるのは『リア王』だが、バックステージの人間関係もこの物語をなぞっている。ノーマンは道化にあたるが、作中で座長が言うようにシェイクスピアの時代には道化とコーディリアを一人二役で演じたのなら、ノーマンと座長夫人は重なり合った存在と言える。さらに『リア王』後半に道化が出てこないのは、そのときコーディリアが舞台に出ているからという現実的な理由があるのだけれど、文学的(?)に解釈すると、道化はリアの(正気の目を持つ)別人格であって、後半は娘達の真実を受け止めたリアの中に吸収されたということになる(多分)。だから、ノーマンは座長とも同じモノなのだ。
追放されたリアには、道化ともう一人、忠臣ケント伯爵が従う。ケントにあたるのはマッジ。女であることを捨て、人一倍冷静沈着に、果断に、上演を成功させるため働く彼女と、気まぐれにどれだけひどい扱いを受けようと座長の周りで世話女房のように尽すノーマン。2人は、座長を中心に、物凄く捩れた鏡像でもある。『わが生涯』の献辞の中にも登場しない2人。しかしマッジは指輪を受け取って行くが、男であるノーマンには何が残されたのか。分身リアに先立たれた道化は、どこへ行けばいいのか。辛い話でした…。

平さんは日本での初演時にはノーマン役だったそうで。見てみたかったものだが、今回のシェイクスピア俳優役もさすがでした。シェイクスピア劇の台詞も、鬱状態もリアルで迫力満点。西村ノーマンは、クールでマニッシュな久世マッジとの対比が良かった。『古畑任三郎』の今泉といい、こういうチョロチョロした役は本当に上手い(また、でかい図体でやるから笑えるし)。秘かに忍ばせる女性っぽい芝居が、可笑しくも悲しい。久世マッジのはっきりとした登場シーンは少ないのだけれど、舞台中央の座長やノーマン、夫人らに照明が当たっている間も、上手の端に置かれたディスクや舞台奥で黙々と働いている様子がわかり印象的だった。座長夫人の松田さんは今回が初舞台だったそうだが、夫が大切で心配、でも彼の利己的な側面には怒り、役者としては嫉妬を覚えるという混沌っぷりが自然。コーディリア役を狙うアイリーン=勝野雅奈恵も、計算高く野望に燃えた可愛い娘ぶりが良かった。
座長・ノーマン・夫人は結構大仰な(台詞臭い)台詞回しで、幕開きからしばらくは少し違和感があったのだが、シェイクスピアに魂を捧げちゃった座長の影響を、傍近くにいる2人が受けているという演出だったのかなーと思ってみたり。単に役者さんのクセかもしれんが。自分はスズカツ氏の大ファンなので、何でもいい方に受け止めてしまいます(笑)。

いい舞台だったのでほんとはもう一回観たい。ついでに『ショウ・マスト・ゴー・オン』(進藤役は西村以外あり得ん!)と『サラ』が観たくなった。
posted by kul at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇/舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月25日

『エドモンド』シス・カンパニー 青山円形劇場

長塚圭史の演出だし、明星真由美の復帰だし、大森博史が出るしと結構楽しみに観に行ったのだが…主人公にまったく共感できなくて、入り込めなかった。「ほんの“ボタンのかけ違い”で日常から転落していく“普通の男”」が、「転落の過程で“世間”や“自己欺瞞”から解放されていく様」というのがテーマの脚本(作・デイヴィット・マメット)なのだろうが、八嶋智人演じる主人公がヒステリック過ぎて「解放」を感じられなかったのだ。うまくいかないことは全部周囲のせい、遺伝子のせい、運命のせいですか、めでてーな、という悪印象が強すぎてなー。転落の過程でどういう罪を犯してしまったのか、最後までわかってなさそうだしなー。
内容については上の通りで自分にはよくわからなかったので、他のことについて。長塚さんはまだ円形劇場を使いこなせてない感じ。○に十字の動線が決められており、対角(円形なのに角とはコレ如何に。察してください)上に人物を配置して向かい合ったまま動かないシーンが多いので、対角線の延長上に席があると役者が見えないことが多くてストレスが溜まった。円形劇場の演出って、難しいよねえ。中央に人物を集中させるか、動き回らせないと厳しいんだと思う。○に十字って、シンボリックだからやりたくなるのはわかるけれど。細く隙間を作った板張りの舞台に、せり上がり+奈落(?)と椅子だけの舞台美術と、シーン毎の場所を表す照明は格好良かった。

【追記】
円形劇場のエントランスに、トヨタのF1マシンが置いてありました。関係ないけど、トヨタとホンダが来季はFポンにエンジン供給するそうですね。これで少しは活性化するといいなあ。今週末の富士は、磐田ツアーからの帰宅が深夜なので諦めました。
posted by kul at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇/舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月22日

『こころの旅イタリアへ』明治安田生命ホール

春風亭昇太・神田山陽コンビが旅の思い出をしゃべり倒すトークライブの4回目。山陽さんが1年間イタリアへ留学だそうで、しばし見納め+いってらっしゃいのイベント。
今回は“日本のイタリア(笑)”新潟・佐渡、先代山陽師匠宅へ出発のご挨拶、営業後に夜行で小樽への3本立てでした。新潟に日本で最初のイタリアンレストランがあるんだねえ(へぇーへぇーへぇー)。最後は、出発前に都内ではこれが最後の山陽さんの高座「鼠小僧とサンタクロース」、と思ったら、おあとは24日発売のCDで聞いてねという訳でした。
いいおっさん達2人がぐだぐだと行き当たりばったりに旅をしている様というのは、情けなくも可笑しいね。この2人の場合、旅に一応目的があるのだけれど、我が侭さとユルさの加減から百間の『阿呆列車』を思い出します。

ありゃ、seesaaだと「けん(門構えに月)」の字が出ないのね。
posted by kul at 23:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 演劇/舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月16日

『トーキョーあたり』劇団健康 本多劇場

92年に解散した健康の復活公演。健康の頃はさすがに3作位しか見てないです(初期にはまだ上京してなかったから)。記憶もおぼろなのだが、当時から手塚とおるが大好きでした。

OPムービーから自虐的で大笑い。一応、物語の基本設定は、クランクイン間近でネタに詰まった監督と脚本家の2人があーでもないこーでもないと言い合ううちに、アイデアがありえない方向に暴走していくというもの。黒澤『生きる』と小津『東京物語』のブラックパロディでもある。役者は次々に役を取り替えるは、伏線はまるで無視だは、辻褄は合ってないは、とにかくくだらなくて容赦なくて、意味なく笑えて良かった。チラシやカーテンコールでケラ本人も言っているが、これ見て怒って帰る人もいるんだろうなあ。
意味のない笑いの芝居をきちんとやるのは、実はとても難しいことだと思う。意味のありそうなフレーズに、それまでの流れをふっと断ち切る瞬間を挿入するタイミングとか。下手な役者が一人混じると、今回のような芝居はぶち壊しになると思うのだが、終始安心して見ていられた。やっぱり上手いんだよねえ、健康の役者さん達。

客出しの曲が有頂天で、懐かしいったら。でも別に懐かしさだけで見に行ったわけじゃないし、絶好調ケラの新作として満足しました。
posted by kul at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇/舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月22日

『NINAGAWA 十二夜』歌舞伎座

母と一緒に歌舞伎座へ。感想が難しい。『十二夜』は好きなお話で、期待した通りに面白くもあったし、自分にとっての二大美人である時蔵・菊之助は美しかった。でも細かく違和感が残った。シェイクスピアに忠実にという前提で脚本が書かれているが、せっかく歌舞伎として上演するのであれば、もっと整理して書き直した方が見やすくなると思う。登場人物が心情を一人でしゃべりまくることや、台詞回しも西洋の演劇だなあという感じだし。言葉遊びをするには仕方ないのか。
原作に忠実にするあまり場面転換が多いが、回り舞台も単にセットを交換するためだけになっていて、回転する間の使い方がもったいなかった。鏡の演出は、ニナガワだなーというか、最初にいっちょブラフをかませるぜーというか(苦笑)。いや、本当は「鏡は隠された真実を映す」とか意味があるんでしょうし、大ラスの二重橋の場面などは単純に綺麗でしたが(二階からでも花道の奥まで見えたのも嬉しかった/笑)。大ラスと言えば、一応皆出ては来るんだが、もっと菊五郎劇団総出!という感じの賑やかな終わり方にして欲しかったなあ。捨助の旅立ちで締めるのは清々しくて良かったです。バランバランな印象になりそうな幕切れを無理やりまとめてしまう親父様、さすが。
今回の目玉は菊之助の二役(三役?)で、ちょっとした仕草や声で男と女を行き来する女形の技が、そのまま見せ場になっていたのは面白かった。でも客の側が、男女を行き来する様子を笑いどころとして捉えすぎてしまって、「恋ゆえに亡くなられたのか、妹御は」のところでも笑い声が起きたのは失敗だと思う。あそこで左大臣は、獅子丸のまだ見ぬ“妹”に恋をするのだろうに(と、乙女な感想を書いてみたが「男なんて大仰に唱えてみてもどーせ尻軽」という皮肉がテーマならこれでいいのか?わからん…)。織笛姫と主膳之助の方ももう少し説明があってもと思ったが、最後の「おお恥ずかし」と顔を隠す時蔵さんがおっとりと可愛かったのでごまかされた(笑)。時蔵さんの赤姫姿、眼福々々。
主膳之助と琵琶姫を菊之助が演じるのは、確かにそっくりの双子であるという説得力にはなるが、皆揃って大団円の雰囲気をいくらか削いでしまったように思う。無理に衣装の早変わりをせずに、琵琶姫と獅子丸の内面の早変わりだけで十分だったのではないかなあ。それでは売りが弱いのか。菊五郎さんの早変わりだけでもいいじゃないか。
菊之助は頑張っていたが、左大臣との絡みの演出が物足りなかったので、おちゃらけ担当の亀治郎・左團次・松緑・團蔵に持って行かれ気味。亀治郎の麻阿、気の強い利口者、ちょっと悪乗りいじめっ子、鐘道とラブラブ(笑)な感じがとっても良かった。左團次の鐘道の尻に敷かれっぷりも良かった。

漫然と面白くて、でももっと面白くできたはずだよな、という感じなんですよね。串田演出のコクーン歌舞伎が、段々と単に目新しいだけでない独自のスタイルを作ってきたように、蜷川演出の歌舞伎も続けていけば“ニナガワ”でなければ作れない“歌舞伎”が出来るのかもしれない。でも、歌舞伎の演出をやるのはこれが最後らしいからなあ…。もう一度、脚本を整理して『十二夜』をやってみせてほしいなあ。
posted by kul at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇/舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月14日

『LAST SHOW』PARCO劇場

パルコプロデュース、長塚圭史 作・演出。PARCO劇場は最近、長塚好きだなあ。ネタバレ含むので反転しておきます。
夢見がちな番組制作会社のディレクター(北村有起哉)と、元天才子役・今は落ち目の女優(永作博美)の新婚夫婦。突然やって来た夫の実の父(風間杜夫)。己の撮りたい絵のためには強引なカメラマン(中山祐一朗)。胡散臭い動物愛護家(古田新太)。ワタシ(市川しんぺー)。
序幕以降は、新婚夫婦の自宅のみが舞台となる。プラモパーツ風の嘘臭くもコジャレたセットが良いなあ。それに呼応するように、ラスト近くでは“ワタシ”に対して退いている夫のやや偽善者っぷりが垣間見える。「家族や愛する対象に対してどういうアプローチをするか」を軸に、アプローチの方法がそれぞれ歪んだ2人に関わって新婚夫婦(とカメラマン)に訪れる危機的状況。全員必死なのに笑える、気持ち悪くて痛々しくて、でもファンタジー(市川さんが全部持ってったな/笑)という、長塚エッセンスの凝縮された芝居だった。この1・2年、長塚は進化し続けている。満足。
惜しむらくは、風間杜夫に色気があり過ぎた。この人なら、孤独で荒んでしまうまでも周りが放っておかないだろうと思ってしまう。だって銀ちゃんですから。改めて上手い良い役者さんだなあと感心したのだけれど、持ち前の愛嬌のせいで怖さが割引されてしまうなと。じゃあ他に誰が、と思っても、役者というのは魅力があるから役者をやっていられる訳で、こういう役にあてるのは難しい(老けた小林薫が無表情に淡々とやると怖いかも)。
役者が皆上手くて安心してストーリーを追えたのは良かったが、古田・中山の使われ方は、長塚作品に限らずそろそろパターン化され過ぎかもしれない。クセの強い役者とは言え、展開の予想がついちゃうのは、作品にとっても役者にとってももったいないと思う。好きな役者さん達だから、自家薬籠中としたものだけでなく、死に物狂いで取っ組まないといけないような役を見てみたいんだよ。ファンの我が侭かね。
永作博美は可愛くて強かった。『オレアナ』の再演、観ておけばよかったなあ。

posted by kul at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇/舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月21日

七月歌舞伎座予約

7月に母御が来るというので、これはいいやと歌舞伎座の『NINAGAWA 十二夜』を予約。『十二夜』はストーリーがかわいいし、男女取換モノだし、歌舞伎でやるのにちょうどいい。シェイクスピアの時代には、少年俳優が女役をやってた訳だし。名前の改変は↓こうか?上手いね。執事と道化二役の菊パパと、ベルチの左團次さんのやり取りが楽しみです(笑)。松緑のアンドルーも面白そうだ。

斯波主膳之助(セバスチャン)
/獅子丸(シザーリオ)実は琵琶姫(ヴァイオラ):尾上 菊之助
織笛姫(オリヴィア):中村 時蔵
大篠左大臣(オーシーノ公爵):中村 信二郎
右大弁安藤英竹(サー・アンドルー・エイギュチーク):尾上 松緑
麻阿(マライア):市川 亀治郎
役人頭嵯應覚兵衛:坂東 亀三郎
従者久利男(キューリオ):尾上 松也
海斗鳰兵衛(アントーニオ):河原崎 権十郎
従者幡太(ヴァレンタイン):坂東 秀調
比叡庵五郎(フェイビアン):市川 團蔵
舟長磯右衛門:市川 段四郎
左大弁洞院鐘道(サー・トービー・ベルチ):市川 左團次
丸尾坊太夫(マルヴォーリオ)/捨助(フェステ): 尾上 菊五郎
posted by kul at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇/舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月14日

観劇予定

昨年あたりから演劇からも足が遠のいているのだけれど、今年の夏〜秋にかけては観たい芝居が次々あって、カネが続くのか?という感じです。
とりあえず『トーキョーあたり』健康、『LAST SHOW』PARCO、『エドモンド』シス・カンパニー、『吉原御免状』新感線、『ドレッサー』PARCO、『天保十二年のシェイクスピア』蜷川、『泉鏡花の日本橋』『泉鏡花の草迷宮』花組は行く予定。
『キレイ』は今回諦めた。岩松了3本立てと『ゴクネコ』花組は、バタバタしていてうっかり忘れていた…。どだい、観たい芝居を全部観るなんてことは無理なので、どこかで線を引いて諦めるしかないのだが、映画と違って後で観るというのができないのがつらいところだ。

それはともかく、『吉原御免状』にはだいぶ期待しております。隆慶一郎好き。
『ドレッサー』も楽しみではあるが、ドレッサー役に西村雅彦を持ってくるあたり、少々あざといと思う(それならむしろ『ショウ・マスト・ゴー・オン』が観たい…)
posted by kul at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇/舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月06日

明星さん、舞台復帰

8月青山劇場、『エドモンド』シス・カンパニーに明星真由美が出演とのこと。好きな女優さんだったのに氣志團のマネージャになって舞台から足を洗ってしまわれて、残念に思ってたのだが、ようやく復帰されるんですね。何年振りだろう、嬉しい。
posted by kul at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇/舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする